-精神科コラム- 2025年9月

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広場恐怖症 ~薬剤療法と心理療法~ -2025年9月30日-

広場恐怖症の治療は、薬物療法と心理療法を組み合わせて行うことが推奨される。症状の背景に生物学的要因と学習理論的要因が複合的に関与しているため、両面からの介入が有効となる。

【薬物療法】
薬物療法の第一選択は、抗うつ薬、特に”選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)”である。セロトニン神経伝達を増強することで、扁桃体や前頭前皮質に作用し、不安の過活動を抑制する。実際に広場恐怖症やパニック症に対する有効性が多数の臨床試験で確認されている。代表的な薬剤として、パロキセチン、セルトラリン、エスシタロプラムなどがある。またセロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)も有効性が報告されており、ベンラファキシンなどが用いられる。
これらの薬剤は効果発現まで数週間を要するため、導入初期に不安が強い場合は短期的にベンゾジアゼピン系抗不安薬を併用することもある。ただし依存性や耐性のリスクがあるため、長期連用は避ける必要がある。

【心理療法】
心理療法の中心は認知行動療法(CBT)である。CBTでは、恐怖や不安を引き起こす認知の歪みを修正し、回避行動を減らすことを目的とする。その中でも曝露療法(エクスポージャー法)が特に有効であり、患者が恐怖する状況に段階的に曝露することで、恐怖が実際には過大評価されていることを学習する。曝露の方法には「段階的曝露」と「一気に曝露(フラッディング)」があるが、実臨床では前者が多い。曝露を繰り返すうちに条件づけられた恐怖反応が弱化し、不安は次第に軽減する。これを「消去学習」と呼ぶ。また、予期不安への認知的介入として「発作が起きても必ずしも危険ではない」「不安は必ずピークを過ぎて下がる」といった認識を形成することも重要である。

さらに、呼吸法やリラクセーション技法を取り入れることで、自律神経系の過剰な反応を調整できる。近年はインターネットを活用したオンラインCBTや、VRを用いた曝露療法も開発され、広場恐怖症治療の選択肢が拡大している。薬物療法と心理療法を併用した場合、相乗効果により寛解率が高まることが知られている。

治療経過では、症状改善に伴い徐々に回避範囲を広げていく支援が重要である。家族には、過度に回避行動を容認せず、適度に曝露を支援する役割が求められる。また慢性化例では抑うつ症状や社会的機能低下を合併することが多いため、長期的視点での支援が必要となる。

まとめると、広場恐怖症の治療は、SSRIやSNRIを中心とした薬物療法と、曝露を核とした認知行動療法を両輪として進めることが効果的である。両者は病態理解に基づき相互補完的に働き、患者が恐怖を克服し、自立した生活を取り戻す基盤を提供する。

広場恐怖症 ~概要と作用機序~ -2025年9月22日-

広場恐怖症(Agoraphobia)は、不安症の一種で、逃げることが難しい、あるいは助けを得られないと感じる場所や状況に対して強い恐怖や不安を抱き、回避するようになる状態を指す。典型的には「電車やバスなどの公共交通機関」「スーパーマーケットや映画館のような人混み」「広場や橋など開けた空間」「自宅から離れた外出」などが恐怖対象となる。この恐怖は現実的な危険度と釣り合わないほど強烈であり、日常生活に大きな支障を与える。重症例では自宅から一歩も出られず、生活機能の著しい低下を来すこともある。

広場恐怖症は単独で発症することもあるが、しばしばパニック症と関連する。繰り返すパニック発作を経験した患者は、「発作が再び起こったら逃げられない」「人前で倒れたら助けを得られない」という強い予期不安を抱く。その結果、発作を経験した場所や状況を避けるようになり、回避範囲が次第に拡大していく。この悪循環が広場恐怖症の成立に重要である。

DSM-5の診断基準では、
①公共交通機関
②広い空間
③閉ざされた空間
④群衆や行列
⑤自宅外での独り行動
のうち2つ以上で恐怖や不安が認められ、6か月以上持続することが求められる。

有病率は生涯で1〜3%程度とされ、女性にやや多く、発症は思春期から成人初期に多い。
病態の背景には、生物学的要因、学習理論的要因、心理社会的要因が複雑に絡み合う。神経生物学的には、恐怖の中枢である扁桃体の過活動が中心的役割を果たす。扁桃体が危険刺激を過敏に検出し、視床下部や青斑核を介して交感神経を活性化させることで、動悸や呼吸困難といった身体症状が惹起される。本来これを抑制する前頭前皮質の制御機能が低下するため、不安反応が過剰に持続する。セロトニンやノルアドレナリンなどの神経伝達物質の不均衡も報告されており、薬物療法の効果機序の背景と考えられる。
心理学的には、古典的条件づけの役割が大きい。過去にパニック発作を経験した場面が「危険な場所」として学習され、以降その状況が恐怖を誘発するようになる。また、回避行動が不安を一時的に減弱させるため、負の強化が働き、回避が強化・固定化してしまう。さらに、予期不安が自律神経を亢進させ、実際に発作を誘発する悪循環が形成される。社会的要因としては、ストレスフルな出来事、健康不安の強さ、家族の過保護や回避の容認などが症状の持続に寄与する。
このように広場恐怖症は

「生物学的素因」×「学習理論的条件づけ」×「社会的要因」

が重なり、予期不安を核として慢性化する障害である。その理解は、薬物療法や曝露を中心とした心理療法の有効性を裏付ける理論的基盤となっている。

パニック症の治療 ~不安に振り回されないために~ -2025年9月8日-

「電車の中で突然、心臓がバクバクして息が苦しくなった」「このまま死んでしまうのではと恐怖に襲われた」――そんな体験をきっかけに病院を訪れる方が少なくありません。これは「パニック発作」と呼ばれる症状で、繰り返すようになると「パニック症(パニック障害)」と診断されます。

この病気は「心の弱さ」ではなく、脳の働きや神経伝達のバランスが崩れることで起こるれっきとした病気です。放っておくと「また発作が出たらどうしよう」と電車や人混みを避けるようになり、生活の範囲がどんどん狭まってしまいます。しかし、適切な治療を受ければ多くの方が回復し、再び安心して暮らせるようになります。

薬による治療

まず中心となるのは「抗うつ薬」と呼ばれる薬です。特にSSRIというタイプは、脳内のセロトニンという物質の働きを整え、不安や発作を起こりにくくします。飲み始めてすぐに効果が出るわけではありませんが、2〜4週間ほどで少しずつ発作が減っていきます。副作用として胃のむかつきや下痢、不眠などが出ることもありますが、多くは一時的で慣れていきます。

また、発作がどうしてもつらい時には「抗不安薬」を補助的に使うことがあります。これは即効性がある反面、長く使い続けると依存の問題があるため、必要なときに限って短期間だけ処方されるのが一般的です。

心のトレーニング(認知行動療法)

薬と並んで効果が証明されているのが「認知行動療法(CBT)」です。簡単に言えば「発作=命の危険ではない」と体で覚え直していく訓練です。

例えば、発作の時によくある「息苦しさ」や「動悸」をあえて再現してみて、「怖いけれど実際には危険ではない」と体験を通じて理解します。さらに、避けていた電車やエレベーターに少しずつ挑戦する「曝露療法」も行います。こうした練習を繰り返すと、不安の悪循環が断ち切られ、「また発作が来るかも」という恐れが少しずつ弱まっていきます。

日常生活の工夫

治療を助けるためには生活習慣も大切です。カフェインやアルコールの摂りすぎは発作を悪化させることがあります。十分な睡眠、バランスの良い食事、軽い運動を心がけるだけでも、不安の背景にある自律神経のバランスが整いやすくなります。

回復への道のり

治療を始めて数週間から数か月で発作は落ち着き、半年〜1年ほどかけて安定した状態を目指します。その後は薬を少しずつ減らし、最終的には中止できる人も多くいます。心理療法を組み合わせると、薬をやめた後の再発も防ぎやすくなることが分かっています。

パニック症はつらい体験ですが、決して珍しい病気ではありません。きちんと向き合えば必ず改善していきます。「また発作が来たらどうしよう」と一人で悩まず、心療内科や精神科を早めに受診することが、安心して生活を取り戻す第一歩になるのです。

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